土曜日の龍樹会の時に、Hさんがハワイ伝統秘法のホ・オポノポノの話をしていました。
ホ・オポノポノは簡単に言うと、言葉によって潜在意識をクリーニングさせ、幸福へ導く言葉だそうです。
国や文化、言葉が違えど、世界にはこの類いの手法は多々ありますね。
「お経・言霊・呪禁が流行言葉のようにコロコロ変化しないのは、何故だろう」と、ふと疑問に思ったことはないでしょうか?
例えば祝詞にしても、その年の流行のように毎年変化するようなものではありません。
むしろ、昔から受け継がれてきたことばを大切にしています。
こういったものが変わらない理由は、言葉の持つ波動そのものに意味があるからです。
古代インドで用いられていたサンスクリット語では、言葉の持つ音・意味合いを非常に重視しています。
つまり発音が少しでも違うと波動が乱れたり他の言葉になってしまうため、発音にはたいへん厳しいといいます。
それだけ、古代の人々は言葉の持つ波動を重要視し、儀式や日常に取り入れてきたのです。
日本では〈ありがとう、と毎日何度も口に出すだけで幸福になる〉というのが一時期流行りました。
しかし、ありがとうと口に出してはいても、不幸な人は当然たくさんいます。もちろん、何を幸・不幸とするかは人それぞれですが。
どんなものでも、同じ波長同士引き合う性質があります。
高波動の言葉を言い続けると確率としては波動の高いものと巡り合いやすくなります。それは人でもモノでも、同様です。
しかし、その人のバックグラウンドがめちゃくちゃであったり、他の要因が幸福の邪魔をしている事もあるので、一概に「ありがとう」というだけで本人の望む幸せにすぐ近づける!とは言い難いような気もします。
勿論「ありがとう」は言わないよりも積極的に口に出した方が良いのでしょうが、感謝の気持ちが全くこもっていない状態でただ言っているだけの場合も、効果は半減しそうですね。
本来であれば、言葉に出さずとも相手に気持ちは伝わるものです。
現代のように、言語によるコミュニケーションが主ではなかった時代、いわゆる言葉を持たない時の人類は非言語的な意思疎通法が発達していました。
現代においてはインターネット・SNSの発展により文字、写真、動画などの視覚などの五感から得る情報やコミュニケーションツールが主流となっていますね。
つまり、何かしらのツールを使って表現しないと相手には伝わらない時代なのです。
ちなみに「空気を読む」というのは日本人独自の非言語コミュニケーションですが、それすら近頃では出来なくなっている、ともいいます。
「空気が読めない」というのは武道においては「間合いが分からない」のと同等と考えてもよいでしょう。その場合、実際の戦場では殺されてしまいます。間合いについても、院長が常々話していることですね。
科学技術の進歩が我々人間の生活レベルを向上する一方で、失われつつあるものもあるのではないかと、考えさせられます。
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