安全な日本と危機感の欠如/直感と災害回避

東洋哲学

毎日電車に乗っていて、いつも思う事があります。

特に朝の通勤電車は寝不足や疲弊しているためか、老若男女問わずぐったりして寝ている人たちばかりです。外国人から見ても、この光景は異様だそうですね。

「この人たちは、いま身の危険が迫ったとしたら対処できるのだろうか?」

無論、斬りかかられたり刺されても、完全無防備な状態なので命を守ることはできないでしょう。

以前ブログで、現代ではいのちのやりとりが成されていないので危機感が薄れているという旨を書きましたが、本当にその通りだというのが電車に乗っているとよく分かります。

〈龍樹会・向き合う力についての記事はコチラ


精神世界では、そもそも何かの事件に巻き込まれたりすること自体が気の乱れであったり、危機察知能力・判断力の低下だとされています。間一髪・ヒヤリハットで済んだ場合はまだ良いのですが、他動的な禍いに限らず誰もがも大なり小なり「あと少しで大変なことに」「大事故になるところだった」「気が付いてよかった」という経験はありませんか?

「いつも通っている道を通りたくないな」「この電車に乗るのをやめておこう」「予定を延期しよう」と、ハッキリとした理由がなくても、なくなんとなく直感が働いて禍いを回避できるパターンもよくあります。

私の場合は旅のプランを立てていても、「なんだかやめておいた方がいいな」と思った矢先に行こうとした目的地で災害が起きたりするケースが何度もあります。

また、逆に祐気先で災害を免れたというケースもありました。(2018年大阪府北部地震)

当時私は祐気先の奄美大島に滞在しており、地震の影響で奄美発→伊丹行きの飛行機が全便欠航となったために1日延泊して関西に戻りました。考え方によっては余計に宿代がかかってしまった!となりますが、この場合は祐気先に長く滞在=吉と捉えて良いそうです。

地震大国日本に住んでいる限りは、なにかしらの災害を経験することがあっても不思議ではありません。しかし当然災害には遭いたくないですし、大切な家族や家も失いたくありません。ではどうしたらよいのか?となったときに、ウソのようですが頼れるのは直感的なものだと私は思います。院長の、震災が起きる前日のエピソードを聞いても納得がいくものです。

科学技術により地震や津波を事前に予知するシステムも発展はしていますが、それが完全に自らの身を守ることと直結ではないと私は考えています。とにかく、日頃から危険察知能力・直感的な回避力を身に着けておくべきでしょう。

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